給料が伸びないのは「技術革新」のせい?

仕事がラクになるのはいいことばかりじゃない

 

前回解説しましたように、給料に労働者個人の業績・成果が反映されているのはわずか数%です。もちろん、会社の業績が上がればボーナスが増えます。ですが、それは個人でどうこうできるものではありません。

4月25日に「平成24年賃金事情調査」の確報が公開されましたが、基本給に占める「業績・成果」の比率が5.3%に下がりました(平成23年度の同調査では7.1%)。世間的には、「これから業績・成果が占める割合が増えていくだろう」と考えられていたと思いますが、まだまだそうはならず、マルクスがいう「労働力の価値」を中心に決まっているということでしょう。

全体としてみると、日本人の給料はここ10年以上、減少傾向にあります。再度、マルクスの理論に重ねて、なぜ給料が下がってきたのかを考えてみます。どこに「給料の低下圧力があるか?」です。

結論から言うと、給料の低下圧力があるのは、「技術革新」と「社会構造の変化」です。そこで今回は「技術革新」について解説します。技術革新の「せい」で、”いざなぎ超え”と呼ばれたかつての好景気の時期にも給料が下がり続けた、というのが私の1つの結論です。

 

その仕事をする知識・スキルを身につけるための労力

労働力の価値とは、「労働の再生産コスト」です。これは簡単に言うと、その労働者が明日も同じ仕事をするために必要なものの合計です。人が働くには、その仕事をする体力と知力(知識・経験)が必要です。労働者に知力と体力がなければ働いてもらうことができません。

例えば、フルマラソンを走り終えてエネルギーがゼロになってしまった人を、すぐに働かせることはできません。労働者として働いてもらうためには、食事をして、睡眠(休息)をとって、再びエネルギーを満タンにしてもらわなければいけませんよね。この時にかかるコスト(食費、睡眠のための住居費など)は、労働力をつくるのに必要な「生産コスト」です。これは前回説明した通りです。

一方で、小さい子どもを会社に連れてきて、「じゃ、あとよろしく」と、みなさんと同じように働いてもらおうとしても無理です。仕事に必要な知識や経験がないからです。会社に有益な労働者となるには、これらの知識・経験を身につけてもらわなければいけません。この時にかかるコストや労力(学費・研修費、勉強時間など)も、労働力をつくるのに必要な「生産コスト」です。

そして、これらの「労働力の生産コスト」を積み上げたものが、そのまま労働力の価値になり、その労働力の価値が基準となって、みなさんの給料が決まっていくのです。

この知識、経験、技能面での再生産コストが、あなたの給料に加味されていることに注目すべきです。つまり「同じ労働をするために、ゼロから知識を身につけたら、どれくらいコストがかかるか?」という視点です。

弁護士の時給がなぜ高いのか?

それは難しい仕事をしているから、ではない。難しい仕事なら世の中にいくらでもあります。

医者の時給はなぜ高いのか?

人の命を扱っているから、ではない。「人の命を扱う」という意味では、看護師や介護士も同じはずです。それなのに、看護師や介護士の時給よりも、医者の時給の方が圧倒的に高いのは、みなさんも容易に想像がつくでしょう。

弁護士、医者の時給が高いのは、その仕事をするために必要な知識・スキルが膨大で、それらを身につけるのに多くの労力とコストがかかるからです。その分が「労働力の価値」として社会的に認められているので、その分時給が高くなるのです。

つまり、この必要経費方式で給料が決まっている日本的企業においては、労働者が過去から積み上げきたものが評価され、給料に反映されていく構造なのです。

 

技術革新によって、「積み上げ」がなくなる

しかし、いったん積み上げれば、その後も安泰ということではありません。マルクスは、労働力の価値が「分業」や「機械化」によって引き下げられていくと説きました。

どういうことか?

分業をすれば、1人の労働者が担当する業務の幅が小さくなり、業務が簡素化されます。そのため、その仕事をこなすために必要な経験やスキル、知識が少なくて済みます。これまでは1人の職人がすべての工程を担当していたかもしれません。ですが、その工程を分業した場合、労働者はそれぞれの作業部分だけをマスターすればいいことになります。

となると当然、仕事に必要な知識や経験、スキルは減り、「労働力の価値」は下がります。これが給料を引き下げていくのです。

さらに、人間がやっていた仕事を機械がこなすようになると、従業員にとって事態はより”深刻”になります。機械が導入されると、労働力の価値が圧倒的に引き下げられることになるからです。

機械化によって連想されるのは、「機械による失業」です。機械が人間の仕事を奪い、人間が失業するということです。かつてイギリスで起こったラッダイト運動は、機械のせいで職を失った労働者たちの暴動でした。現代でも製造業を中心に機械化により職を失っている人がたくさんいます。また、『機械との競争』(エリク・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー著、日経BP社)では、技術の進歩によって人間の仕事が失われていることが鋭く指摘されています。

今のところ仕事を奪われていない人は「明日は我が身」という気持ちでいるかもしれません。しかし「明日は我が身」ではなく、「既に降りかかっている」かもしれません。機械化が労働力の価値を低下させて、既に労働者の給料を引き下げている可能性があります。

現場に機械が導入されれば、人間が身体を動かす必要はなく、経験に裏打ちされた技術を使うこともありません。職人だった労働者は、単なる機械オペレーターになります。一人前の「職人」になるためには、膨大な時間と経験を積むための修業が必要です。しかし、機械を操作するだけであれば、数日のトレーニングで身につけられるかもしれません。

そこで労働力の価値(その労働に必要な能力を身につけるコスト)が低下してしまうのです。

オフィスワークについても同じことが言えます。例えば、かつては大変な労力がかかった「消費者の分析」も、今ではインターネットと、表計算ソフトのエクセルやデータベース管理ソフトのアクセスといった手軽なツールでできてしまうものもあります。かつては勘と経験が必要だったものでも、今ではテクノロジーが解決してしまうケースもあるのです。

その結果、「その類の仕事だったら、それほど準備もスキルもいらないし、大変ではない」と思われるようになり、労働力の価値が低下していきます。そして、給料が下げられてしまうのです。

 

「仕事が楽になった」と喜べない

よく日本の企業には「イノベーション」が不足していると言われます。一般的には「イノベーション」は歓迎すべきものと捉えられています。それを起こすことができれば、企業にはプラスの影響をもたらすでしょう。しかし、労働者にとっては、必ずしもいいことばかりではありません。

みなさんが携わっている業界で「イノベーション」が起き、最新技術が発明されたとしても、喜んでばかりはいられません。確かに業務は効率化し、生産性は格段に向上します。それによってみなさんがやらなければいけないことは減るかもしれません。でも、「仕事が楽になった!」と喜んでいる場合ではないのです。

例えば、私が身を置いている出版業界で考えるとこのような話があります。

昔は(といってもほんの20~30年前までは)、作家は原稿用紙に手書きで原稿を書きました。それを編集者があずかり、印刷用の版下を作成するため写植(写真植字)屋というプロの文字入力会社に依頼して、手動写植の場合などはひと文字ひと文字打ち込んでもらい、データ化していたのです。それが今では、作家自身がワープロソフトのワードなどで入力したテキストファイルを、編集者にメールで送っています。その後の工程も、写植屋に頼むことなく、そのままレイアウトソフトで割り付け、ページを作成し、印刷用のデータが完成します。

作家自身も、かつては「間違えたら、書きなおし」でした。単なる書き間違いだけでなく、原稿を読み直して推敲していく過程で、どんどん修正したくなります。それが今では単純に上書きすればいいだけです。文章の順番を変更したい場合でも、コピー&ペーストで簡単に入れ替えができます。私自身、本を書く時には平均で大きく3回は書き直します。

そんな作業を、いままではすべて一から手作業で行っていたのかと考えると、気が遠くなります。考えただけで冷や汗が出るような作業です。現在、この「一から手書きでやり直し」がなくなっているだけで、格段に執筆作業が楽になっています。そしてその分、1年間に執筆できる本の数が格段に増えました。

ワードは出版業界のためのソフトではありませんが、出版や文章で生計を営んでいる”文字業界”に技術革新が起こったために、革命的に仕事が”効率化”しました。それにより、1冊の本を書く労力も減りました。これまでは1年かけなければ完成させられなかった原稿も、3か月で仕上げることも可能です。

しかしその結果、作家がもらえる「1冊あたりの報酬」の相場が下がりました。「かつては1年必死に頑張らないといけなかったけど、今は3カ月で済むから、報酬もそれくらいでいいよね?」ということです。

誰かがこう言っているということではありません。業界の雰囲気として、また相場としてそのように変化してきたのです。

もう少し詳しく説明すると、作家がもらえる報酬(印税)は、一般的に「書籍定価の10%×印刷した部数」です。この計算式自体はいまも昔も変わりありません。

ところが、最初に印刷する部数が驚くほど減っています。20年前は初版部数(最初に印刷する冊数)は、3万部が平均でした。売れるか売れないかわからないけど、それでもそれくらい印刷するのが通常だったのです。なぜか? そのくらいじゃないと作家が生活できず、結果的に原稿が書けないからです。

でも今は、初版の平均部数は4000部程度です。この20年で、8分の1以下に減ったわけです。当然、作家がもらえる印税も減ります。

一般的には、「本が売れなくなった、初版部数が減っている」と思われています。確かに出版市場はじり貧ですし、もっと世の中で本が売れたら、もっと印刷する部数を増やすでしょう。出版社側としては初期のリスクを減らして、初版の売れ行きを見て増刷するという考え方もあります。しかしベースの部分には、昔に比べて初版部数を減らしても作家が生きていけるから(1冊あたりの部数が減っても、原稿を書く労力が減り、書く本の数自体を増やせるので生活できるから)という理由もあると思います。

実は作家だけでなく、出版社の編集者も営業もその他の管理部門の社員も同じです。1冊1冊があまり売れなくても、業務の効率化によって多くの本を出版できるようになったから、生きていけるくらいの生活が成り立っているわけです。

もしかつての技術のまま、部数だけが減っていったらどうなるでしょう。その場合、作家、出版社の従業員など創り手が生活できなくなり、この業界自体が消滅していたと思います。もしくは全体の出版点数を削減し、「これまでのように3万部刷っても大丈夫な本(それくらい売れる本)」だけに絞って出すことになっていたはずです。

技術革新により業務が”効率化”したために、生き残りやすくなったわけですが、同時に効率化によって労働力の価値が下がったのです。「出版業界は特殊だから」と考えるべきではありません。一般的に技術革新は労働力の価値を低下させ、そしてその分給料を引き下げる「効果」があります。

 

生産性の効率化は労働力の価値を間接的に下げる

ここでもう1つ思い出していただきたいことがあります。それは、前回解説した商品の値段の決まり方です。

「需要と供給のバランスがとれている場合、商品の値段は、『価値』通りに決まる」――これが『資本論』で説かれている理論です。つまり、その商品を生産するのにかかる労力やコストを基準に、値段が決まっているということです。

労力・コストが大きいものは、値段が高くなり、反対に小さいものは安くなります。ということは、技術革新によって生産性が圧倒的に高まった商品は、値段が下がることになります。パソコンや家電製品の値下がり具合を見れば、理解しやすいでしょう。

ですが、話はこれで終わりません。技術革新によって商品の価値が下がり、値段が下がるということは、それを使って生活している労働者は「より低コストで生きられる」ということになります。つまり間接的に、労働力の価値は下がってしまうわけです。このように技術革新は、直接的にも、間接的にも、労働力の価値を低下させていくのです。

マルクスは、「企業は生産効率を追求するもの」と考えていました。生産性を上げるために、分業などにより生産体制を工夫し、機械を導入します。これによって圧倒的に生産量を増やすことができますが、同時に労働者の貢献度は下がり、労働力の価値は引き下げられるのです。

現代で生産性を追求し、売り上げをどんどん伸ばしている企業でも、必ずしも従業員の給料は上がっていません。それは生産性向上とセットで、労働力の価値が引き下げられているからです。

これが、技術革新の「せい」で、好景気においても給料が下がり続けたカラクリなのです。

日経ビジネスオンライン


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